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Columnコラム

2013.01.25体罰の連鎖を断ち切るために

このところ「体罰」の二文字を目にしない日はない。

 

大阪の市立桜宮高校バスケットボール男子部員が、顧問の男性教諭から体罰を受けて自殺した事件は各方面に波紋を広げている。

 

運動部における体罰は古くて新しい問題である。指導者は生徒をうまくしたい、チームを強くしたい一心で”愛のムチ”をふるうのだろうが、一方的にふるわれる側はたまったものではない。

 

まして運動部の指導者と生徒の間には”主従”の関係ができているため、殴られたからと言って殴り返すことはできない。周囲も「今に始まったことではない」と見て見ぬフリをする。こうして体罰の連鎖は常態化し、 温存されていく。

 

そんな中、この問題に対する発言で存在感を高めているのが、巨人で活躍し、メジャーリーグでもプレーした経験を持つ元プロ野球選手の桑田真澄氏である。今ではアンチ体罰の急先鋒といっても過言でもあるまい。

 

桑田氏も野球を始めた小学生の頃は、毎日のようにグラウンドで監督やコーチから殴られていたという。 1月12日付のスポニチには、次のようなコメントを寄せている。

 

<殴られて愛情を感じたことは一度もない。「なぜだろう」「おかしい」と思ってきた。体罰が嫌でグラウンドに行きたくなかった。体罰で力のある選手が野球嫌いになり、やめるのを見てきた。子供は仕返しをしない、絶対服従だと思っているから体罰をする。一番ひきょうなやり方で、スポーツをする資格はないと思う。体罰をする指導者はたくさんいる。そうした人たちのほとんどが情熱家だが、熱意が空回りしてしまって いる。殴って何が解決するのか。体罰を受けた子供は「殴られないためにどうしたらよいか」と、その場しのぎのことを考えるだけだ。これではうまくならないし、自立心がなくなってしまう。体罰が減らないのは勝利至上主義があるためだ。ただ、スポーツには体力と技術力と精神力が必要なのであって、根性では勝てない>

 

スポーツ界において未だに体罰を容認する空気が強いのは、選手や指導者の中に、必死で頑張った自分を否定したくないとの、いわば”自己肯定本能”のようなものが働いているからではないか。「殴られても蹴られても、自分だけはやめなかった」という自らの体験にレゾンデートル(存在証明)を重ねている者もいる。

 

過去を否定したくない気持ちは、わからないでもない。しかし昔は許されていたのだから、今も許されていいという話にはならない。

 

スチューデント・ファースト、そしてプレーヤーズ・ファースト――スポーツ指導に携わる者は、この原点に立ち返るべきである。