Talk Vol.24
VARはフェアな選手が守られるシステム
2010年・14年FIFAワールドカップレフェリー
西村 雄一
第11回のゲストはサッカーの2010年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯と2大会連続でレフェリーを務めた西村雄一氏です。Jリーグで9年連続最優秀主審賞に輝いている西村氏が語るレフェリーの現状とは――。
【必要なのは勇気と誠実さ】
二宮清純: 今年のロシアW杯はビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)が導入された最初のW杯となりました。西村さんはどんな感想をお持ちですか?
西村雄一: 間違ってしまった判定を訂正できるというのは、レフェリーとしてすごくありがたいなと思いました。
今矢賢一: 非常に助かるシステムだと。
西村: ええ。なぜかと言うとレフェリーチームは好き好んで間違えようと思っていません。精一杯努力した結果の判断が間違えてしまった。それを映像で確認し、訂正できるというツールはとてもありがたいですね。
二宮: 例えばフランスとクロアチアとの決勝でのPK判定は物議を醸しました。1対1の同点の場面でボールがクロアチアのイヴァン・ペリシッチの手に当たった。レフェリーが映像を確認した結果、ハンドリングの判定が下され、フランスにPKが与えられました。映像で確認すれば確かに手には当たっています。ただレフェリーも相当迷っているふうに見えました。
西村: サッカーの場合、判定をレフェリーの主観に委ねることが大前提となっています。そのレフェリーの主観が多くの人に受け入れられるかどうか難しい場面もあります。それはVARを採用しても同じだったのでしょう。このケースは、VARがよく機能してレフェリーからは見にくい角度だったけどよくハンドリングだと判定できたという前向きな意見とともに、厳しい判定だったという批判もあります。一方、ハンドリングと判定しなかった場合は、VARで確認したにもかかわらず見逃されたと、どちらの判定をしても議論になっていたと思います。
二宮: 西村さんもW杯で2大会レフェリーを任されました。判定後のことは考えますか?
西村: ジャッジを下した後の世間への影響は一切考えていません。正直に言えば考える余裕がないですね。私の時はVARがなかったので、自分の目から見た事実に基づいて判断していました。私がレフェリーを務めた4年前のブラジルW杯開幕戦、ブラジル対クロアチアでのPKのシーン。クロアチアのデヤン・ロヴレン選手がブラジルのフレッジ選手を倒した場面で私が見た事実は、ホールディングによって、ボレーシュートの体勢が崩れてしまった。フレッジ選手の大袈裟なリアクションは、後ろから掴まれたことが原因だと見極めました。その後、こんなに大騒ぎになるなんて全然考えてもいなかったですね(笑)。
二宮: なるほど。
西村: 逆にホールディングはあったけれど、あのぐらいならとファウルとしないと判断した場合は「レフェリーがPKを見逃した」と言われ、能力不足を問われることになります。レフェリーは、自分が見た事実に向き合う勇気を持たないといけないですね。
今矢: ポジショニングが非常に重要ですね。
西村: そうなんです。まずは確認できるポジションにいることが重要です。そこで、見えたにもかかわらず見なかったことにして、自分に嘘をつくのであれば笛は置いた方がいいですね。レフェリーは正直さが必要。自分の決断、見たものを“こう見えた”とやり切る自分自身への勇気がとても大切です。
二宮: あとは誠実さですか?
西村: おっしゃる通りです。誠実さがないと選手との信頼関係は築けません。VARがあろうがなかろうが、そこは不変だと思います。
【ジャッジが難しいハンドリング】
二宮: とりわけハンドリングの判定については故意なのか、そうでないかの判断は非常に難しい。
西村: 意図は本人にしかわからないところもありますからね。レフェリーは仕草や状況から考えて、意図の有無を推測するしかないんです。ハンドリングに関しては選手がフェアプレーを忘れた瞬間におきることが多いので、難しいです。もし、90分間選手を疑って見ているとハンドは見極めやすくなるかもしれません。でも、レフェリーは選手がフェアに活躍してくれることを信じているので、急に悪い心が出てきてハンドリングをされてしまうとわからないですね。
今矢: 性善説に立ってレフェリングをしているということですよね。
西村: はい。選手を疑って判断すると全部悪いものとして見えてきてしまいます。そういう先入観はジャッジの妨げになるんです。
二宮: 今回の日本対コロンビア戦でPKとなったハンドリングも印象的です。元代表のDFは「最初から手で当ててやろうとする選手はいませんよ。ああなると自然に体が動くんです」と語っていました。
西村: あのプレーは一生懸命の延長ですよね。だからレフェリー側も泣く泣くレッドカードを出さざるを得ない。あの時レフェリーはレッドカードを出しながらうつむいているよう
今矢: なるほど。イエローにしてあげたいくらいだったと。
西村: きっとそうでしょうね。W杯に来て開始直後に、その選手はピッチから去らなければいけない。夢と感動をつくってくれる選手たちを退場させることは、レフェリーとしては一番したくない判断です。だからあのレフェリーの心情はとてもよくわかりますね。
二宮: 同じレフェリーならではの視点ですね。レフェリーは試合がうまくいって当たり前で、逆に何かあると“試合を壊した”などと言われる。損な役回りでもあります。
西村: ええ。サッカーのレフェリーは突出して批判を受けるようになっています(笑)。これはサッカーが多くの人にとってわかりやすいスポーツで、それぞれ皆さんが思い思いに判定できてしまうスポーツであることが理由のひとつだと思います。
二宮: 他の競技と比べると1点の重みも大きい。
西村: 本当にそう感じます。時にはレフェリーの判定ひとつで、その後のシナリオは大きく変わる。当然判定を委ねられている者への批判は大きくなるわけです。
二宮: 今回のVARは、いくつか課題が残ったものの、概ね成功したと思います。今後に向けて改善点はありますか?
西村: 判定を訂正するシステムとしてはもう十分なレベルにきていると思います。VARはレフェリーのためではなく、正々堂々とプレーしている選手が守られるためのシステムです。レフェリーの間違った判定によってフェアな選手が被害を受けるならば訂正すべきという考えです。だからこそ今大会、正々堂々とプレーしないと真の勝者にはなれない、と選手を含め多くの人が感じられたのだと思います。
【大陸によって異なるレフェリング】
今矢: 次世代のレフェリー育成においては、まず多くの試合を経験させるべきだと考えますか?
西村: そうですね。レフェリーが成長するためには、トライ&エラーを繰り返し、自分でいろいろなことを考えて解決していくことが必要です。Jリーグの誕生によって、ガラッと流れが変わりましたね。選手のレベルもグンと上がり、注目度もそれまでと比べると雲泥の差です。現在は、選手と一緒に素晴らしいサッカーをつくり出せるかというレフェリングへの分岐点だと思います。サッカーから生まれる感動をどれだけ多くの人に届けられるのか。私たちはその繋ぎ役、支える側としての役割を徹底して追求し続けることですね。
二宮: まさに日本サッカーの高度成長期でしたね。選手とともにレフェリーも成長していく時期だったのですね。
西村: はい。その通りだと思います。今の選手たちはレフェリーよりも大きなプレッシャーを受けています。決定的なシュートを外せば途轍もなく批判され、ひとつゴールを決められれば大きな賞賛を受ける。自分の夢、応援しくれる人の夢を背負って、覚悟を持ってプレーしている選手たちを、どのくらい支えられるのか。これがレフェリーに求められているのだと思います。選手に怒りの感情が出てきた時、それをどうやって沈めて通常の心理状態に戻せるのか。選手が日頃の努力を発揮できるように、コミュニケーション能力やメンタルマネジメント能力もレフェリーに求められています。
今矢: 日本にプロのレフェリーはどのくらいいらっしゃるのですか?
西村: 主審・副審合わせて14人です。日本のライセンスは1級から4級まであります。1級は全国レベルの試合を担当でき、その中でトップリーグを担当できるメンバーをカテゴライズしています。日本の審判員の総数はおよそ27万人。1級・女子1級は274人ということで、全体の0.1%ほどです。
二宮: それだけ狭き門ということなのでしょうね。海外のリーグで活躍する日本人レフェリーはいるのでしょうか?
西村: 審判資格はそれぞれの国が認定しているので、その国の資格を保有して海外で審判活動をしている日本人はいます。ただ、海外のトップリーグ担当となるといないですね。
今矢: それは選手が海外でプレーするよりも難しい?
西村: 審判交流プログラム以外で、トップリーグを担当するために海外に赴任するケースはほとんどありません。それぞれの国がレフェリーの成長していく過程をとても大切にしています。以前Jリーグ発足当時に行われていた、レフェリーを招聘するということはあります。最近では、サウジアラビアがイングランドのマーク・クラッテンバーグ氏をプロフェッショナル契約で招聘しました。UEFAチャンピオンズリーグやEUROの決勝の主審を担当したことがあるレフェリーです。彼はイングランドを離れたので、今回のロシアW杯の候補でしたがW杯には選ばれませんでした。イングランドからW杯審判団に選ばれないのは80年ぶりのことだったそうです。
二宮: サッカーの母国ですから、それは驚きですね。
今矢: 国によってレフェリングのスタイルも違うのでしょうか?
西村: それぞれの大陸のプレースタイルによって色が出ますね。各大陸のトップクラスの選手が集まるヨーロッパのレフェリングスタイル、は威厳を用いながらフィジカルプレーを容認するので、激しいけど規律のあるプレーの基準が保たれています。南米のレフェリングは選手のズル賢いプレーを見抜く術に長けている気がしますね。北中米は真面目で日本人と似ている。よく走るし、努力を惜しまないです。アフリカのレフェリーは身体能力が高く、優しい人が多い。だからたまにシミュレーションに騙されたりします。
今矢: それは面白いですね。参考にしている海外のレフェリーは?
西村: 各大陸のレフェリーのよいところを参考にしました。例えば、凛とした感じはヨーロッパから、コミュニケーションは南米から、動きの量と質は北中米から。それを融合させたようなレフェリングを心掛けています。現役でレフェリーを続ける以上、今後も選手の活躍のために全力を尽くす気持ちをもって、頑張っていきたいと思います!